パラグライダーは「山を歩いて登り、飛んで降りる」ために育ったスポーツです。 生まれてから50年ほどの短い歴史を、年表でたどります。

1963年、カナダのドミナ・ジャルバートが「マルチセル・ウィング」の特許を取りました。 デビッド・バリッシュはNASAの宇宙船回収用に「セイル・ウィング」を開発し、 1966年夏には米国のスキー場で、斜面を滑空する「スロープ・ソアリング」を宣伝しました。(出典: Wikipedia「パラグライダー」)
フランス・ミューシーで、スカイダイバーが山の斜面を駆け降りて離陸し、 1,000m下の谷のサッカーグラウンドまで滑空して着陸しました。これがパラグライディングの始まりです。(出典: 笹川スポーツ財団 スポーツ辞典「パラグライディング」)
飛んだのはジャン=クロード・ベテンプス、アンドレ・ボーン、ジェラール・ボソンの3人で、 四角い「スクエアパラシュート」を使いました。(出典: Wikipedia「パラグライダー」)
フランス語では今も「パラパント(parapente)」と呼びます。 斜面を表す pente に、パラシュートの para- を付けた1970年代末の言葉です。(出典: Wiktionnaire「parapente」)平尾台のテイクオフで今も行われている「草原の斜面を走って飛び立つ」形は、このときと同じです。
登山家にとってパラグライダーは、条件さえ合えば「楽に降りる道」になりました。 1988年9月26日、フランスの登山家ジャン=マルク・ボアヴァンはエベレスト山頂に14時30分に着き、 90分かけて翼を準備しました。風は最大40km/h。標高5,900mのキャンプ2まで、約3,000mを11分で降りました。(出典: Cross Country Magazine)

日本には1986年にヨーロッパから紹介され、競技人口が一気に増えました。 1989年8月、福岡県北九州市の皿倉山で第1回日本選手権が開かれました。(出典: 笹川スポーツ財団 スポーツ辞典「パラグライディング」)平尾台と同じ北九州が、日本のパラグライダー史の舞台でした。
「レッドブル X-Alps」は2003年に始まり、2年ごとに開かれるアルプス横断レースです。 すべての距離を徒歩かパラグライダーだけで進みます。翼を背負って登り、翼に運ばれて飛びます。 最初はオーストリアのダッハシュタイン氷河からモナコまで約800km、2025年は1,283kmでした。(出典: Wikipedia「Red Bull X-Alps」)
日本人も挑んでいます。当スクールが所属する日本パラグライダー協会(JPA)のスーパーバイザー、 扇澤郁さんは2007年にアジア人として初めて出場し、5位で完走しました。(出典: Wikipedia「扇澤郁」)2019年には5回目の挑戦。世界から選ばれた32人のうち、唯一の日本人で最年長でした。(出典: 日本経済新聞(2019年7月))
登山道のそばのテイクオフから、同じ形で飛んでいます。歩いて登った人は、次は飛んで降りてみませんか。
テイクオフは標高約550mの山頂の草原で、登山道のすぐそばです。 麓のランディングは、スクールの受付と同じ場所です。 飛ぶのはおもに10時ごろから15時ごろ。東北東から南の風で、5m/s程度までの日です。 火曜日は定休日です。
講習中などで出れない場合があります